祖父と“2人の父”から継承したもの:日髙次郎さん

産業

国富町田尻で「日高機材工業有限会社」の代表取締役を務める日髙次郎(ひだか じろう)さん。

先代の父から10年前に会社を引き継ぎ、現在は建設工事を行うために必要な機材(重機など)や資材(道路工事の時に設置されている矢印やポールなど)のレンタルを主な仕事としています。

ずっと建設業をやりたいと思っていた日髙さんが、現在の仕事を始めることになった経緯や、人との出会い。
日髙さん本人の大切にしている想いなどを伺いました。

剣道一筋の学生時代

日髙さんは、小学1年生から大学4年生まで17年間剣道を続け、現在でも国富町「陵武館(りょうぶかん)」で剣道の指導をしながら、現役の選手としても活躍中。

鵬翔高校卒業後、宮崎産業経営大学へ剣道をするために進学。
大学4年生の時には、目標にしていた全国大会に出場するほどの猛者です。

そんな剣道漬けの学生時代を過ごした日髙さんが、目指していたのは建設業。
祖父が創業した日高建設株式会社で働いている父が身近にいたということもあり、若い時から建設業を目指すようになっていました。

そんな日髙さんですが、大学卒業後は東京で働くことを決意。
東京(関東)での約6年間が、日髙さんの人生観を大きく変えることとなります。

東京で味わった世間の厳しさ

「昔から本当に甘えん坊だった。」

と、語る日髙さんは上京後、墨田区の親戚が経営している焼き鳥屋で、店長代理をすることとなりますが、約3ヶ月後には東京の不動産会社に就職。

不動産会社では、仕事が終わったら毎日のように担当物件近くの駅に行き、終電後までチラシを配ったそうです。
当然、日髙さんが乗って帰る電車はありません。

ホテルに泊まるお金がなく、そのまま公園で野宿…
同僚も近くのベンチで横になります。

そんな生活を1ヶ月続けて

「仕事(世間)ってこんなキツイんだ。」

と、仕事に対する考え方がガラリと変わります。

再度、同じ焼き鳥屋にアルバイトとして戻り、昼間は派遣業。
とにかく生きるために働き続けました。

自宅はスナックが入るテナントビル

親戚の焼き鳥屋さんに半年ほど住み込みで働いていた日髙さんは、そろそろ一人暮らしをせねばと自分の部屋を探しに行きます。

そこで見つけたのが駅から徒歩数分で家賃5万円ほどのアパート。
かなりの格安物件です。

しかし、その部屋は8畳ほどの広さでシャワーが1つ付いている程度の殺風景な部屋。
冷蔵庫とテレビは備え付けられていたらしい。

殺風景なのには理由があり、そこは1階がラーメン屋、2階がスナック、3階が日髙さんの部屋。
テナントビルの1室を人が住めるようにした程度の部屋だったのです。

冬場は特に冷える何もない床。
そこに敷布団を敷き、疲れを癒す日々。

ガラス張りの部屋にはカーテンもなかったそうです。

なぜか皆での共同生活

そのテナントビルに同居人が増えます。
それが日髙さんの奥さん(当時彼女)と弟さんです。

男女3人の共同生活は、喧嘩も絶えなかったと言いますが、その分思い出も多く残っているとのこと。
奥さんがシャワーを浴びるときは、弟さんが強制退室させられるのが日課だったようです。

今でも当時の話は3人共通の思い出として話題になるとのことでした。

頭が上がらない東京の父

日髙さんは24歳の時に、焼き鳥屋で働いていた経験を買われ、ハローフーズの直売部(スーパーなどで直接お肉を調理し販売する部署)へハローフーズの専務からオファーを受け、転職します。

ハローフーズの専務は、国富町出身で日髙さんの父と同級生。
東京の江戸川区にある一戸建ての空き家を、家賃3万円という破格の値段で専務が提供してくれたので、仲良く3人(日髙さん、奥さん、弟さん)引っ越します。

「この専務には頭が上がらない」

と何度も口にする日髙さん。

他の社員が嫉妬するほど可愛がってもらったと言います。
直売部として4店舗の店長を任されていた日髙さんは、1年後に営業部へ異動します。

「営業車(新車)・ガソリンカード・ETCカード、全部与えるから遊びの時にも使って良いよ」

そんな優遇を受けてはいましたが、日髙さんは、その分仕事も人一倍に頑張ります。
東北・北海道エリアを1人で担当し、日々の睡眠時間は1時間程度。

そんな過酷な生活の中で、交通事故を起こしてしまいます。
朝方、中央分離帯に正面衝突…

そんな時も、父親のように心配してくれ、2週間療養をしている間も寄り添ってくれました。

「専務自身のことよりも、自分(日髙さん)のことを一番に考えてくれる人だった。」
「(今でも)経営のことで相談にのってもらう事もあるよ。」

10年以上経った今でも、大きな信頼をよせている東京の父との思い出話は尽きることがありません。

忘れていた実父との約束

ハローフーズに入社後3年が経ったある日、

「中国の工場で欠員が出たから中国に行ってくれないだろうか?」

と、上司から日髙さんへ話があります。
それを告げられた直後の正月…

毎年、1月1日に父の誕生日を家族で祝い新年がスタートする日髙家でしたが、その頃、親族のほとんどが仕事や学校で関東に行っており、東京の江戸川区(当時、日髙さんと奥さんは宇都宮に住んでおり、弟さんが江戸川区に引き続き住んでいた)の家に集まることになります。

そこで日髙さんは、

「俺もしかしたら中国に行くことになるかも」

そう父に伝えると、

「(国富に)帰って来い!東京は5年の約束だっただろ!」

と言われるのです。

5年…(?)と不思議そうにしていた日髙さんでしたが、どうやら上京する前に父と約束していたようです。
その瞬間まで忘れていました。

しかし、これまでの恩もあり、そう簡単にハローフーズを辞める訳にはいきません。
父の話を受け、お世話になっていた専務に相談しましたが、

「ダメだ!まだまだ未熟。これから頑張らなきゃいけないのに。」
「あと1年頑張れ!」

そして1年後の正月、父が単身東京へ。

「頼むから帰ってきてくれ…」

そう伝えられた日髙さんは再度父とともに専務のもとへ。
すると、専務は1年前と異なり、

「よし、お前の気持ちは分かった。頑張ってこい!」
「いつでも戻ってきて良いからな!」

と背中を押してくれ、国富町に戻ってくることになります。

念願の建設業〜想像以上の現状

28歳で国富町に戻った日髙さん。
以前から後世にモノが形として残せる建設業に魅力を感じており、これからの仕事に心弾ませます。

しかし…

会社の状況を見て唖然。

バブル崩壊後、建設業が衰退しているという実感はありましたが、まさかここまでとは…
会社はいつ倒産してもおかしくない状況だったと言います。

父は日高建設と日高機材工業2社の代表。

日髙さんは、そんな父のもと壮絶な巻き返しを起こします。

今日(いま)を生きる

当時の日高建材工業の事務所は、パソコンもなくネット環境も整っていません。
当たり前のように、見積書も手書きで書いている状態でした。

「これじゃぁ、ダメだ!」

日髙さんは日高建設で余っていたパソコンをもらい、ネット環境を整え、職場環境の整備から行います。

そこからは、とにかく動く日々です。

建設業の知識がなかった日髙さんは、日高建設ではなく日高機材工業の仕事を任されることになります。

機材・資材のレンタル業は大手同業他社が多く存在し、競争も激しい業界。
そんな中、日高建材工業は知名度がほとんどない状態でした。

日髙さんは、とにかく人目を気にせず、建設会社や工事現場へ営業にいきます。

「周りの目なんて関係ない。目の前の仕事を取らなきゃ会社が潰れる」

その一心。

タネが芽吹く

日髙さんが帰郷し1年が過ぎた日、日高建材工業を父から引き継ぎ、代表となります。
帰郷してからの1年間で、ひたすら営業を続けた日髙さん。

「最初の1年は売り上げ関係なく、とにかくタネをまき続けた」

その効果もあり、少しずつ周囲からの認知度が上がっていきます。
そして、前年比の2倍以上の売り上げを残すのです。

「さすがに税務署が入ってきたなー(笑)」

それまでの日髙さんの苦労が実った瞬間です。
社長就任3年後、8年前にたたんだ日髙建設の負債の返済等も目処がつき、就任10年後の今、業績は軌道にのり続けています。

今では地域の将来を見据え、新たな経営プランを考え、実行しています。

自分自身の原動力

日高建設の創業者である日髙さんの祖父、そして先代の父の存在。

「これまで、地元でたくさんの人と話をしたが2人(祖父・父)のことを悪く言う人間はいない」
「きっと2人とも人に思いやりを持って生きてきたんだろう」

「自分自身も人(地域)のためじゃないと馬力が出ない」

そう語る日髙さん自身も、2人のように慕ってくれる人に囲まれ、周囲の人が穏やかに過ごせるような人柄と人望を持ち合わせているのでしょう。

人に後ろ指を刺されるような人間にならない…

それを体現している日髙一族です。

人を喜ばせた“おこぼれ”で良い

前述したように、日髙さんは地域のため、人のためにという想いが原動力になっています。
家に帰れば、お子さん5人(女2男3)のパパ。

「自分は、人を喜ばせた時に溢れた“おこぼれ”を共有できる位が丁度いい」
「今さら自分自身の私利私欲のためだけに動いても面白くない」

そう語る日髙さんは、人材斡旋にも力を入れ、新しい地域貢献の形としても戦略を立てています。

実は、こっそり焼肉屋を営む計画を立てているとか…いないとか…

 

 

 

有田 匠興

宮崎県国富町出身・在住の地域ライターです。 「国富町を通過点から目的地へ」 というテーマのもと、国富町で働く人たちを取り上げ、発信していきます。

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